前編

世の中には、専業主婦でいても、自身の収入がなくても、人として自立し、自分の時間を自分の人生を充実させるために使うことのできる者もいる。
だが俺は、そういうタイプの人間ではないのだ、きっと。
妻には貧乏性だと笑われるが、時間を有効に活用し他者と協同し、なにがしかの経済的効果を上げずには気が済まない性質らしい。

その上、結婚してからの俺は経済的に妻の庇護のもとに入り、それと同時に、精神的にも妻に従属してしまっていた。
妻に養ってもらうのだから、盲目的に妻に仕え、妻に従わなくては、そんな風に自分で自分を縛っていた。
こんな俺は、妻にとっても、重い存在だったかもしれない。
結婚前だって、彼女に盲目的に仕えていたことに変わりはないのに、彼女の収入から間接的に俺の給与を受け取っていたのに、雇用契約や給与の受け渡しがあるとないとでは、こんなにも感じ方が違うものなのだろうか。
実際、妻に仕事をすることを勧められ、俺は結婚後のもやもやとした気持ちが晴れてくるのを感じていた。

朝、妻を送り出すと、俺はいつも通り午前中のうちに手早く家事を済ませてしまった。
買い物を終え、簡単な昼食を取ると、俺はパソコンの前に座った。

パソコンの立ち上がりを待つ間、手帳を広げる。
結婚式前までは、ぎっしりとスケジュールや覚書で埋まっているが、式後数日後からは空白が目立つ。
週に1日「ジャルジェ家から侍女派遣」、週末に「ジャルジェ家へ」、その程度だ。
空欄の続いた日々は、今考えても一体何をして過ごしたのか、思い出せない。
そんな非生産性にイラつく俺は、やはり妻の勧め通り、平日の昼間を仕事で埋めた方がいいのだろう。

だが仕事を探すと言っても、一体俺はどんな仕事をしたいのか、まず熟考する必要がある。
パソコンは立ち上がったが、俺は手帳の後ろのメモ欄を開き、ペンを手にした。

大前提として、妻の生活に支障をきたさないこと。
それから、俺自身の引き出しを増やすような仕事であること。

日常の家事はジャルジェ家の侍女を頼めばよいが、夫として、妻の最低限の身の回りの世話、健康管理などはしてやらねば。
洗濯や掃除は人任せにしてもよいし、買い物や料理の下ごしらえも頼めるだろう。だが妻のための料理は、自分の手で拵えてやりたいのだ。
毎晩、妻の帰りを玄関で迎えてやりたい。
それに将来的に、妻がジャルジェ家を継ぎ、ジャルジェ商会の経営の方に駆り出される可能性がある。
あるいは、妻がどこか地方に転勤しないとも限らない。

そんな事情を勘案すれば、束縛の多い正社員は避けるべきだろう。
正社員のメリットと言えば、各種保険や年金、福利厚生だが、今の俺はそれを必要としていない。

そうすると労働形態は、パート・アルバイト・派遣、ということになる。

手っ取り早いのは、パートかアルバイト、飲食店や小売店の接客業だろう。
学生時代にもその類のバイトはしたし、宮廷では王侯貴族やら国家元首を接待したのだ。
接客のマナーは我ながら完璧、客がどのような要求をしてきても、うまくあしらう自信がある。
だが、既に経験を積んだ仕事を繰り返しても、自分の引き出しを増やすことにはならない。
将来妻がジャルジェ家を継いだ暁に、共にジャルジェ家を発展させていけるよう、知識と経験を増やそうと考えたら、そのような分野の仕事に就いてもあまり意味がない。

では派遣事務、一般企業で、それもできるだけいろいろな業界で仕事を経験できることが望ましい。

だが、今までの俺の職歴で、いったいどんなところに採用してもらえるだろうか。
それ以前に、求職する際、俺の経歴をどの程度晒していいものか。
近衛連隊長の私的従僕という立場で、公の身分も地位もなく宮廷に半ば顔パスで出入りしていたこと、王室の人々の私生活の間近で仕事をしていたことなどは、そう簡単に口外していいこととは思えない。

俺の職歴・・・、俺は手帳にざっくりと書き出してみた。
大学卒業と同時にそれまでバイトしていたジャルジェ商会に正社員として入社、屋敷の次期当主の私設秘書および、商会の経理、財務、総務、庶務、人事などを担当。
2〜3年前、次期当主の衛兵隊隊長就任と共にジャルジェ商会を退社。
衛兵隊一兵卒として入隊、軍隊生活を送る。
結婚を機に衛兵隊を除隊、現在は家事の傍ら求職中。

派遣会社登録の際は、こんな感じに経歴を説明すればいいだろうか。
軍隊という経歴はちょっと引かれるかもしれないが、長年「会社員」として、事務仕事、オフィスワークは一通り経験している。
「会社員」時代には簿記の資格も取ったし、英語能力の検定も受検した。
衛兵隊時代には、軍務の傍ら勉強してパソコン関連の資格も取得している。

俺は改めてパソコンに向かい、検索してみた。
「人材派遣」・・・、いやというほど沢山の会社があるようだ。
この中から、自分の希望する職種に強い会社を選び、登録すればいいのだが。

時間はあるのだ、ゆっくり検討しよう。
いくつかのサイトを回り、ブログなども見て回り、ふと時計を見ると、ドラマ「アラスの風よ応えて」の時間だ。
・・・これくらいの気晴らしは、構わないだろう。
俺はパソコンを閉じ、テレビをつけた。

婚約者の件でヒロインと仲違いした古物商見習いの男の元へ、雇い主であるパリの古物商店主から連絡が入る。
古物商が少し前に扱った中世のマリア像が贋作だったと、顧客とトラブルになっているというのだ。
顔色を変える古物商見習い男。
そしてシーンがパリに変わり、携帯を手にニヤリと笑うヒロインの婚約者。

トラブルは婚約者が陰で糸を引いている、と言わんばかりの演出だ。
・・・やっぱり気に食わないな、この毛色の薄い婚約者ヤロー。

ドラマが終わると俺はテレビを切った。
さあ、家事に戻ろう。
洗濯ものを片付けて、夕食の準備。
来週は妻が1週間の海外出張、そろそろ荷づくりの準備も始めなければ。



・・・to be continued

2011/11/29 

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