キラキラ星変奏曲

チャカチャカチャカ・・・、長い指がキーボードの上を踊るように動く。

「目にも止まらぬ早さだな」
「何をおっしゃいます。無敵の動体視力を誇る隊長殿が」

従僕は、画面から視線を外さず答える。

「そんなもの誇っていたか?」
「自慢していらっしゃいましたよ。『僕が剣が上手なのは動体視力が優れているからだ』って」
「子供の頃の話だろう?」
「うん・・・、小学生の頃かな」

そうだろう。
無邪気で考えなしの、小学生の頃。
懸命に稽古するもののなかなか上達しない彼に、苛立ちと慰めと半々に、そんな言葉を放ったこともあったかもしれない。
『視力』という言葉が、まだ禁句ではなかった頃のこと。

「でも、タイピングは練習しといてよかったよ。こんなにパソコンが全盛になるとはね。キーボードを見ずに打つのと見ながら打つのでは、能率が全然違う」

しなやかに動く、彼の指。
私の上で、私の中で、私を酔わせとろけさせる、彼の指。

「これも、お前のお蔭だよ」
「私の?」
「お前が俺に無理やりピアノを練習させたから、指を独立して動かせる。大人になってからでは左手の小指や薬指なんか、なかなか動かせるようにならないらしい」

そうだったのか。
私を恍惚とさせる彼の指の動き、それが子供時代の私のスパルタ教育の賜物だったとは。


彼が我が家へ来た当初、私は彼に剣を教えた。
―――僕が欲しいのは遊び相手じゃなくて、剣の相手だ
そう、うそぶいて。

しかし、懸命に私についてくるものの、人と競ったり争ったりすることを好まない彼にとって、手合わせは決して楽しいものではないようであった。

彼が楽しくないのなら、私だって面白くない。

そこで私は考え直し、彼にピアノを教えることにした。
楽器に触れたこともない彼に譜面の読み方を教え、毎日30分の練習を強要したのだ。
たどたどしかった彼の指の動きが、少しずつ上達し、滑らかになっていく。
剣の稽古とは違って、彼も練習を楽しんでいたし、私もそんな彼の指の動きを見つめるのが好きだった。


剣でもピアノでも、何でもよかったのだ。
彼と一緒に、二人だけで何かできるのなら。


「よし、できた」
彼はマウスをクリックし、立ち上がるとプリンタへ向かう。

その背には、昨夜の私の指の痕はあるだろうか?
お前が「嬉しいけど、痛い」と笑うので、爪は立てないよう、気を遣ってやったのだぞ。

用紙を手に席に戻ると、彼はペンやら電卓やらでひとしきり作業し、パチンとホチキスの音をたてると、再び立ち上がった。
「では隊長、遅くなりましたが承認のサインを頂戴したく」

・・・昨年末の衛兵隊クリスマス会の補助金申請書。

隊のカフェテリアで行われたクリスマス会。
一流ホテルの宴会場で賑々しく行われる近衛隊のそれとは、一味も二味も違うものだった。
缶ビールと紙皿にのせたピザ、有志による宴会芸、全員が景品を持ち寄るビンゴ。

黙ってサインし彼に戻すと、彼はそれを封筒に入れ、パチンパチンとホチキスで留める。

「・・・次のクリスマス会には、我々も司令官室を代表して何か芸をやらねばならんかな」
「去年はダグー大佐が頑張ってくれたからね」
「あのマジックは見事なものだった。あれに見劣りしないようなものを考えねば」
「『ベル−1グランプリ』に参戦するのはどうだ?」
「あの漫才大会か?今年もやるのか?」
「大好評だったじゃないか。今年は各班から1組ずつ参戦しようって案も出てるらしい」
「私には、人を笑わせるような才能はないぞ」


剣でもピアノでも、何でもよかったのだ。
彼と一緒に、二人だけで何かできるのなら。


「・・・そうだ、ピアノの連弾はどうだ?」
「ピアノねえ・・・。もう20年以上ロクに弾いてないし」
「今から練習すれば、半年以上あるし何とかなるのではないか。昔発表会で弾いた『キラキラ星変奏曲』、あれはどうだろう?」
「『キラキラ星』か、・・・また二人でお揃いのタキシード着て?」

小学校最後のピアノの発表会、私と彼は二人で『キラキラ星変奏曲』を連弾した。
私が白、彼が黒、色違いのお揃いのタキシードを母上が誂えてくださった。
演奏が終わって、舞台の上で聴衆から浴びた拍手。
二人並んでお辞儀をした、この上なく晴れがましく誇らしい瞬間。

そして舞台袖に入り、二人でハイタッチ、・・・指が触れたとたん、思いがけず溢れてきた涙。
彼に抱きついて、泣いた。
彼も、泣いていた。
二人で、力を合わせて一つのことをやり遂げた、達成感。
二人で、一つの目標に向かって努力した、満足感。
子供時代のラストを飾る、キラキラの思い出。

「・・・お前はタキシードでも燕尾でもかまわんが、私は、そうだな、カクテルドレスでも着てみるか」
「ド、ドレス?」
「ああ、たまにはいいかと・・・」
「ホント?マジ?絶対?・・・じゃ俺やる。やります。今日からピアノ練習しますっ!」
「え?・・・あの・・・」
「ハノンとかツェルニーからやった方がいいかな、まだ楽譜はあったっけ?」
「ああ、音楽室の書棚に・・・」
「よーし、頑張るぞ。・・・そうだ、メール室にこれ持って行かなくちゃ。じゃ俺、ちょっと席外しま〜す」

脳裏に浮かんだのは、どの姉上だったか、あるいは他の女性か
「男って単純ね」
憮然としてつぶやく姿。

そうか、私のドレスがそんなに嬉しいのか。
そんなに嬉しいのなら、次のデートにワンピースでも着てみるか?
それともやっぱり、クリスマスまでお楽しみに取っておくか?
なんだか、馬の前にぶら下げられた、ニンジンになったような気分だ。


剣でもピアノでも、何でもよかったのだ。
彼と一緒に、二人だけで、何かしたかった。
他の誰にも、姉上達にも友達にもばあやにも、誰にも邪魔されず、二人だけで。
私だけと一緒にいて欲しかった。
私だけを見ていて欲しかった。
・・・今思うに、それはある種の恋心だったのかもしれない。


キラキラの子供時代が終わり、少し大人になった私達。
お前はピアノをやめて屋敷の仕事を手伝い始め、私は王太子妃殿下の護衛を仰せつかり、それぞれに心惹かれるものが生まれ。
肩を並べて歩いてはいても、互いの指先が触れ合うことはなく、すれ違い続けた。
淡い恋心は、私の心の奥深く潜り込み、その身を潜め、人知れず萌え出る時を待ち続けた。


幾星霜を経て、二人の指は再びめぐり合い、絡み合う。

剣でもピアノでも、何でもよかったのは子供の頃の話。
夜毎私達は、指を絡め合い、二人で、二人だけが目指すところへ、・・・二人だけの秘め事。

秘め事だけでなくても、いいかもしれない。
二人で肩を並べてピアノを弾くのもいい。
剣がだめなら、別のスポーツを試してみるのもいい。

私達は、これからの人生、二人で共に生きていこうと決めた。
手を取り合い、歩き続けようと決めた。

触れ合った指先、絡み合った指先は、もう二度と離さない。


Fin



2009/3/4 初出 「きめそうこ」
2009/10/26 再掲

この作品を書く直接のきっかけは、娘のピアノの発表会です。でもその数か月前、子供向けオーケストラのコンサートで「キラキラ星変奏曲」のピアノ連弾を聴く機会がありました。私の頭の中に、キラキラ星を連弾するOAの妄想が駆け巡ったのは言うまでもありません。
そしてその時に司会の方がお話しされた「変奏曲」の定義、「一つの主題を様々に変化させ、新たな作品を作り出していく」、それを聞いて「これだぁっ!」と思いました。当時サイト作りを考え始めていたのですが、サイト名は「××変奏曲」にしよう、とこの時決めました。
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