愛ある食卓

仕事上の長年の部下が結婚のため退役し、司令官室での昼食は一人になってしまった。
そのため最近では、執務が立て込んでいない時には一般兵士の利用するカフェテリアで昼食を取ることが多くなった。
兵士たちとの食事、それに伴う会話は、存外に楽しいものだ。
彼らが仕事では見せないような考え、人柄、私生活などを垣間見ることができるし、彼らとのコミュニケーションは、仕事を円滑に図る上でも有益である。

その際に、少々気になるのは彼らのテーブルマナーである。
私自身は由緒正しい貴族の家に生まれ育ち、幼少時から、王族や国賓と同席しても困らないだけのマナーをしつけられている。
その一方、兵士たちのほとんどは平民だ。
私の教え込まれたマナーとは若干異なるマナーを身につけている者も少なくはない。
それぞれの育った家庭環境、ご両親の教育方針なども異なっていよう。
そう考えて多少のマナーの相違には目をつぶるようにしているが、時には思わず眉をしかめてしまうような食べ方をする者もなくはない。
寿退役したかつての部下は、笑って言った。
「そういうときには、『そんな食べ方だと女の子にモテないぞ』と言ってやるといい」
・・・女の子にモテない、若い男子にはこの一言が効くらしい。
さすが私の元部下、臨機応変かつ適切な対処を心得ている。

ところが、同じく貴族であっても、時と場合によっては違和感を感じることがある。
かつて私に求婚した貴公子は、私と同じく貴族の出自、非の打ちどころのない完璧なマナーを身に付けていたが、ただ一つ、気になることがあった。
食事を終え席を立つとき、彼は膝の上のクロスを無造作に丸めて投げ捨てるように椅子の上に置くのである。
その投げ捨てるような置き方が、私はどうしても好きになれなかった。

一度、彼と有名レストランで食事をしたことがあった。
食事は大変美味しく、教養があり話題の豊富な彼との会話もそれなりに楽しむことができた。
しかし、食事を終えて席を立ったとき、彼はクロスを勢いよく椅子の上に投げ置き、勢い余ったクロスは床の上に落ちた。
貴公子は一顧だにせず、優美に歩き去る。
ギャルソンの一人が、さっと跪き、クロスを拾い上げる。

貴公子の態度は、貴族として、レストランの客として、きわめて普通であったと思う。
それに、客が落としたクロスを拾うのは、レストランの従業員の職務であることに間違いはない。
だが私は、恭しく跪きクロスを拾ったギャルソンに、幼馴染の親友の姿を重ねて見てしまうのである。

その時、ああ、この男性と生活を共にすることはできないな、とはっきりと感じたのだった。


翻って、元部下、すなわち現在の私の夫との食事では、マナーの点で違和感を感じることは全くない。
何しろ、同一の人物に幼いころからマナーを仕込まれているのだ。
私は貴族令嬢として、彼は従業員として、と立場の相違はあるが、マナーの基本は同一である。


結婚して幸せを感じることの一つは、夫と二人の食卓だ。
結婚前は、外出先や職場では時折共に食事をしていたが、長らく一つ屋根の下で暮らしていたにもかかわらず、屋敷で食卓を共にする機会はあまりなかった。
夫婦となった今、二人で食卓を挟み、ゆっくりとグラスを傾け、その日の出来事など他愛ない会話と共に彼の暖かい手料理をいただく、そんなひとときに心安らぐ。

だが、最近一つ気付いたことがある。
休日に二人で外出し、カフェで軽くランチを取った時のこと。
メニューをオーダーし、二人で会話をしながら、彼はおそらく無意識にであろうが、紙ナプキンを手にテーブルを拭くようなしぐさをするのである。
テーブルは汚れているわけではない。
だが、紙ナプキンを手にすると、彼はテーブルを拭かずにはいられなくなるようなのだ。
結婚前はこのようなしぐさはなかったように思う。
おそらくは、結婚後に身に付いた習癖であろう。

彼のしぐさ、彼の話し方、彼の全てを愛している。
軍務で忙しい私のために、家事料理のすべてを引き受けてくれている彼。
食事の前後に食卓を拭き清めてくれるのも、彼の家事能力の高さの表われであり、そして私への愛と思いやり、そして優しさゆえなのだ。
だが、カフェでのあのテーブル拭きだけは、その、なんだか、生活感がありすぎるというか、所帯じみているというか・・・。

今度、遠まわしに指摘して、やめてもらおうかと思う。



2013/4/19 初出

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