主婦のオスカル Side A

・・・しまったっ!
寝過してしまった。

『・・・オスカル、愛しているよ・・・』
『お前、明日は仕事なのだろう?もう寝た方がいいのではないか?』
『お前は休みだろう?いいじゃないか』
『明日、起きられなくなっても知らんぞ』
『何を言う、これは明日への活力さ』
『ふふふ・・・』

昨夜、そんなシチュエーションをリピートしてたのが敗因だ。
だが妻との営みは今日の活力、さあ、急いで支度をせねば。

眠っている妻を起こさぬようそっとベッドを滑り出ると、昨夜のうちに用意してあったスーツ一式をつかみバスルームに駆け込む。
時計をチラリと確認し、大急ぎで洗面とひげそりを済ます。
シャワーと自分の朝飯をショートカットすれば何とかなりそうだ。

・・・だけど、ああ、仕事に行きたくないなあ。
今日もあの課長と一日付き合わなきゃならないと思うと・・・。
あのアホ課長、理事長の遠縁だか何だか知らんが、ろくに仕事もせず、人の仕事の邪魔ばかりしやがって。

いや、そんなことを考えている場合ではない。
妻の朝食を準備せねば。
パジャマを脱ぎ捨てワイシャツとズボンを身につけると俺はキッチンに立った。

妻は今日、有給で丸一日休みだ。
起きてくるのはきっと10時過ぎになるだろう。
俺の淹れるコーヒーが一番おいしい、と言ってくれる妻だが、残念ながら今朝は自分で豆を挽いてドリップする時間はない。
コーヒーメーカーに豆をブチ込み、ミネラルウオーターを注ぎ、スイッチを入れる。
それから、サンドイッチ。
普段はあまり朝食をしっかりとらない妻だが、昼近くになれば食欲もあることだろう。
俺はバゲットを切り、冷蔵庫の中のチーズとハムをスライスして手早くサンドイッチに仕立て上げた。
ついでに端切れを自分の口にも少々放りこむ。
俺は妻と違い、朝食はがっつり食べたい派だが、時間がなければ食べなくてもどうということはない。
そして、フルーツ。
手早く皮をむき、カットして皿に盛り付ける。
これも、形の悪い物を少々、自分の口に放り込んだ。

フルーツの皿にラップをかけ冷蔵庫にしまうと、俺はメモ帳に妻へのメッセージを思いつくままに走り書きした。

簡単だけど朝食を用意しておきます。
冷蔵庫にカットしたフルーツを入れておくから、良かったらそれも食べて。
コーヒーを飲み終わったらサーバーのスイッチを切っておいてください。
食べ終わった食器は、水で流して食洗機に入れておいてください

食器の片付けなど、本当は俺が帰宅してからでもいいのだが、疲れて帰宅した時にキッチンが散らかっているのは正直イラッとするものなのだ。
食器を食洗機に入れておいてもらうだけで、気持ちよくキッチンに立つことができる。

そうそう、それから今日は、他にも妻に家事を頼まなくてはならない。
彼女にもできそうな家事、ということで昨夜のうちに二人で相談し、洗濯と簡単な買い物を頼むことにしている。

本音を言えば、洗濯も買い物も、今日彼女がやる必要は全くないのだ。
洗濯は1日くらい置いておいても、明日ジャルジェ家から来るメイドたちがまとめてやってくれる。
買い物だって、俺が仕事帰りに買ってくればいいことだ。

だが、せっかく妻がやる気になっているのだ。
少しずつでも、家事を覚えたいのだ、と。
だから失敗の少ない、簡単で達成感の得られる仕事をと考えて、頼むことにした。

俺はもう一枚のメモに走り書きした。

・洗濯機の中の洗濯物を干す

・タオルは乾燥機にかける

・買い物をする・・・小麦粉1袋(500g)をお願いします。
持ち物はリビングのテーブルに置いてあります

・乾いた洗濯物を取りこむ


メモをリビングのテーブルに置き、家計用財布とエコバッグも準備する。

ところで彼女は昼食をどうするつもりなんだろう。
それくらい自分で何とかする、と胸を張っていたが。
まさか一人で星付のレストランでランチするとは思えないし、ケータリングを頼むこともないだろう。
せいぜいがカフェかファストフード、あるいはデリカテッセンでお持ち帰りとか。
俺は財布の中をのぞき、昼食と小麦粉に十分な金額の紙幣と、スーパーのポイントカードが入っていることを確認した。

ちらりと時計を見る。
よし、あと15分。
いいペースだ。

キッチンに戻ると、コーヒーが出来上がっている。
手近なマグカップに少し注いで香りを確認し、一口、含んでみる。
うん、まあまあの出来だ。
妻がこのコーヒーを飲む頃には味が落ちてしまっているだろうが、インスタントよりはましだろう。
マグカップをすすいで食洗機に入れ、さあ、歯を磨かなくては。

子供時代、おばあちゃんにきっちりしつけられ、どんなに時間がなくても、歯磨きだけはきちんとしないと気が済まない。

・・・ああ、仕事に行くのが嫌だ。
妻と一緒に、休んでゴロゴロしたい。
就業期間が短いためまだ有給休暇は付与されないが、体調不良など正当な理由があれば、欠勤することは勿論可能だ。
しかし、だからと言って簡単に休むことを自分に許してしまうと、だらだらと欠勤を繰り返してしまうかもしれない。
そしてそんな就業態度では派遣会社にバツをつけられてしまうだろうし、そうなったら今後、派遣会社から仕事の紹介を受けることもできなくなり、いつか衛兵隊司令官室に派遣就業するという計画も無になってしまう。
派遣契約期間はあと1カ月半、それまでの辛抱だ。
妻のためにも、自分自身のためにも、頑張らねば。
自分のやるべきことを、・・・そうだ、洗濯物をチェックしなくちゃいけないんだ。

俺は急いで口をすすぐと、ランドリーボックスをひっくり返した。
洗濯物を一枚一枚改めては、ランドリーボックスに戻していく。
色柄物は、明日、メイドたちにまとめて別洗いしてもらおう。
選り分けて、色柄物用のランドリーバッグに入れる。
それから、・・・妻のブラウスの袖口、小さな茶色いシミを発見。
昨日の夕食のデミグラスソースだろうか。
俺はスプレー式の漂白剤を振りかけると、軽くつまみ洗いした。
シミが薄くなったのを確認して、ランドリーボックスに戻す。
そして、・・・妻のレザーの手袋が入っていた!
きっと閲兵式で使ったものだ。
こんなもの、一緒に水洗いしてしまったら大変じゃないか。
ちゃんとチェックして良かった。
これは色柄物用のランドリーバッグに入れておこう。
メイドたちが気付いて手入れしておいてくれるに違いない。
・・・よし、チェック終了。
後は全て妻にお任せ、このまま洗濯機に放り込んで洗ってもらえばいい。

俺は急いでネクタイを締め、背広を着た。
そうそう、ベランダのハーブに水をやらなきゃ。

水やりも妻に頼もうかと思ったが、生育状態を1日1回は自分の目で確認したい。
小さなじょうろで水をまく。
どれも元気に育っていて、それぞれに淡い色の可憐な花を咲かせている。

・・・ああ、イヤだなあ、仕事。
派遣なんて、言われてことだけ言われたとおりにやればいいんだろうけど、苦労してやったのに『やっぱりやらなくていいです』はないよなあ。
畜生、あのクソ課長め、ぶん殴ってあごの骨でも砕いてやったらすっきりするだろうか。
でも我慢我慢、これも自分自身のスキルアップ、キャリアアップのため。
ひいては愛する妻のため。
あの課長のため、あの会社のためなんかに働いてる訳じゃない。
全ては愛する妻のため・・・。

・・・そうだ、この花を妻の朝食のプレートにあしらってやったらどうだろう。
俺は急いでキッチンバサミを取ってくると、花をたくさんつけているローズマリーの小枝を1本切り取った。

もう家を出なければいけない時間だ。
だが俺は、小枝を流水で丁寧に洗って、キッチンペーパーで水気を拭き取り、サンドイッチに添えてみた。

オスカルは気付いてくれるだろうか、喜んでくれるかな。
まさか、間違えて一緒に食べてしまったり、・・・まあそれでも構わないけれど。

さあ、もう家を出なければ、遅刻してしまう。
俺は腕時計をし、バッグの中身を確認する。
携帯電話、財布、キー、パスケース、手帳、ハンカチ、ティッシュ、・・・。
・・・よし。

俺はそっと寝室に入った。
「オスカル、朝だよ、オスカル」
俺は妻を揺り動かす。
よく眠っているのを起こすのはちょっと気が引けるが、黙って出て行くのも寂しいだろう。
「もう俺、仕事に行くから」
妻がガバッと跳ね起きた。
「すまない、寝過してしまった」
俺は妻を優しく抱きしめる。
「いいんだよ、たまの休みなんだから」

妻の髪の香りが鼻をくすぐる。
昨夜の、俺の腕の中のお前が、俺の脳裏を甘く駆け巡る・・・。
・・・ああ、仕事イヤだ〜。
このまま、妻と一緒にベッドに入りたい。
日がな一日、妻とベッドでゴロゴロイチャイチャしていたい・・・。

だが、行かなくては。
ガウンを羽織った妻は、玄関まで見送りに来てくれた。
「行ってきます」
俺は妻にキスをすると、後ろ髪を引かれる思いで玄関を出る。
玄関の扉は俺の背後で無情にバタンと閉じられ、内側からガチャリと鍵をかける音がした。

きっと妻は
「やれやれ、もうひと眠りしよう」
とベッドに戻ったに違いない。

ああ、仕事に行きたくない、けど、行かなきゃ。
下りのエレベーターに乗り込む。
今日の夕飯は、お前と一緒にチキンを料理しよう、それを励みにして。
そして、お前と過ごす夜、それを楽しみにして。

「行ってきます、愛してるよ、オスカル」
マンションのエントランスを出て部屋を見上げ、心の中で妻につぶやくと、俺はメトロの駅に向け猛ダッシュした。



Fin



2012/04/26 
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