Swan Lake

両親との簡単な晩餐を終えると私は自室に戻り、ベッドにごろっと横になった。
ゆったりとリラックスした気分なのは明日が休日だから。
それも久しぶりの、アンドレと二人一緒の休日だ。

私の縁談が破談になって以降、私と彼は以前のように気安く会話をするようにはなっていたが、休日が一緒になるのはいつ以来だろうか。
事故でさんざんみんなに迷惑をかけたから、とあいつはなかなか休みを取ろうとはしなかったのだ。

そのムチ打ち症も随分と回復したらしく、リハビリはもう週1回でいいという。
今日がちょうどその通院日で、彼は私より一足先に、定時に職場を出た。

だがもう帰宅しているだろう。
そろそろジョゼフィーヌ姉上の誕生日プレゼントを用意しなければいけない時期だ。
毎年、姉上たちの誕生日には、私と彼の連名で贈り物をするのが子供の頃からの習わしだ。
何を約束したわけではないが、明日あたり一緒に買い物に・・・、と何となく考えているのだが。

その時、車のエンジン音が聞こえた気がして、私は立ち上がって窓から外を見下ろした。
白い、ポンコツの日本車が屋敷を出ていくのが見える。
運転しているのはアンドレか?
この時間に出かけるのか?
一体どこへ?

私は内線電話の受話器を上げると、厨房の者にワインを持ってくるよう頼んだ。


ワインを持ってきたのは、私付のメイドのベルだった。
私はさりげなく尋ねた。

「アンドレは?」
「先ほど外出いたしました」

ではあの車はやはりアンドレだったのだな。

「お友達から電話があったそうです」

お友達、か。
学生時代の友達だろうか、あるいは衛兵隊の誰かか、近衛時代の知り合いか、それとも・・・。

「男性のようですわよ」

聞いてもいないのに、ベルはにこやかに付け加える。
「アンドレにご用でしたら、携帯でご連絡いたしましょうか?」
「いや、その必要はない」

用があるなら、自分で連絡する。

ベルは一礼して出ていった。



私はワイングラスをベッドサイドのテーブルに置くと、再びベッドに横になった。

明日は休み、何を約束したわけでもない、彼がオフの時間をどう過ごそうと彼の自由だ。
私がとやかく言うことではない。


・・・そうだ、たまにはテレビでも見てみるか。
起き上がってベッドサイドテーブルからリモコンを取り上げ、テレビの電源を入れた。
ニュース、ドラマ、歌番組、プチプチとチャンネルを変えてみる。
普段私はあまりテレビを見ないのだが、これといって興味をそそられる番組もなく、・・・。
私はふと手を止めた。
華やかな舞台、舞い踊るダンサーたち、これはパリのオペラ座、・・・バレエ『白鳥の湖』だ。
画面にはその第3幕、ジークフリート王子の花嫁選びの舞踏会のシーン。
王子とオデット姫が出合い恋に落ちる、有名な第2幕の湖畔のシーンはすでに終わったようだ。


オペラ座には近衛の頃、アントワネット様のお供で何度も出かけている。
お供といってもあくまでも私の任務は王妃様の護衛、バレエ鑑賞を心から堪能したわけではない。
この『白鳥の湖』も数回鑑賞しているが、王妃様は感動なさって涙していらしたが、私としてはどちらかというとツッコミどころ満載なのである。

そもそも悪魔ロットバルトはなぜオデット姫をさらって白鳥にしたのか?
鳥フェチなのか?
しかも夜だけ人間の姿に戻るというのは、詰めが甘いというものだ。
姫を自分のものにしたいのなら、24時間白鳥の姿にしておけばよい。

オデットもオデットだ。
白鳥にされた己の運命を嘆き悲しみ、助けてくれる男を待って暮らすなど、主体性がなさすぎる。
夜には人間の姿に戻ることができ、しかも監視があるわけではないのだから、自力で解決する方法を考えてもよさそうなものだ。
一緒に白鳥にされた侍女たちも、二十人近くうじゃうじゃといるくせに、姫と一緒に泣いているばかりで誰も行動を起こそうとしないのか、役立たずたちめ。


画面では、舞踏会の招待客が世界各国の踊りを披露している。
スペイン、ナポリ、ハンガリー、花嫁候補たちの踊り、そして悪魔ロットバルトとともにオディール姫が登場する。


一番のツッコミどころはジークフリート王子だ。
オデットに恋したのはいいが、舞踏会に現れた悪魔の娘オディールをオデットと思い込むのはいかがなものか。
バレエでは伝統的に、一人のダンサーがオデットとオディールの二役を演じるという。
だから顔が同じではあるのだが、ダンサーは別人として演じているのである。
清楚なオデット、妖艶なオディール、衣装も異なる。
これを同一人物と思い込むのは無理があるというものだ。
よほど恋に目がくらんで、似ている女性はすべてオデットだと信じたのだろうか。
それとも単に、オディールの美しさに目がくらみ、うかうかと愛を誓ってしまったのだろうか。
いずれにしてもうっかり者の大馬鹿野郎だ。


・・・あの人は、わからなかった。
ドレスをまとい化粧をし髪を結いあげた私を、軍服を着た親友の『私』だとは気づかずに、ダンスを申し込んだ。
見知らぬ、一女性として。

でも、あいつならわかるのではないか?
たとえ私がどんななりをしていても、私を私だと見抜くのではないか?
あいつは・・・、今一体どこで誰と過ごしているのやら。


画面ではドヤ顔のオディール姫と、メロメロになったジークフリート王子が愛のパ・ド・ドゥを踊っている。

ストーリーのツッコミどころはともかく、ダンサーの踊りは間違いなく素晴らしい。
しなやかで強靭な肉体、優美な表現力、そして隙のないテクニック、一体どれほどの努力の果てに手に入れたのだろうと、感嘆するほかない。

ジークフリートは、とうとうオディールに永遠の愛を誓ってしまう。
勝ち誇るオディール、高笑いする悪魔ロットバルト、そして己の間違いに気づく王子。

ここでジークフリート、「あっ、間違えちゃった、ママどうしよう」とばかりに母女王に駆け寄るのだ。
これも私には気にくわぬ。
いざという時に母親にすがるようなマザコンだから、こんな大失敗をするのだ。
全く大馬鹿野郎だ。

取り返しのつかない大失敗、激しい後悔と絶望と。


けれど、私もこんな大馬鹿野郎になるところだった。
すんでのところで、間違った相手と永遠の愛を誓ってしまうところだった。
自分の本当の心に気づかずに。
本当に大切なものに気づかずに。
・・・良かった、間違いに気づいて。
ジークフリートとオデットのような、絶望を味わわずに済んで。


舞台は転換して第4幕、ジークフリート王子と悪魔ロットバルトが対決する。
ジークフリートはロットバルトに勝利するものの、呪いは解けず、ジークフリートとオデットは死して愛を成就させる。

現世では結ばれることのない愛、死によってしか結ばれぬ愛。
呪われた運命を嘆き、ともに死を選ぶことでしか愛を全うできなかった二人。


私は、幸せなのかもしれない。
自分の人生を自分で選ぶことができて。
自分の運命を自分で切り拓くことができて。
大馬鹿野郎になる前に、踏みとどまることができて。



翌朝、私が目覚めたころには白い車は戻っており、朝食後にはアンドレが私の部屋を訪れた。

「ごめん、ベルから聞いたけど昨夜俺に用があったって?」
「別に用などない」
「ごめんごめん、メルキオールが泣きながら電話してきて、彼女にフラれたって言うもんだから」
「メルキオールが?それで男二人で深夜のドライブか?」
「うん。白鳥の湖に」
「白鳥の?湖?」


正式な名前はわからないけど、小学校の時の遠足で行った湖だよ。
ここから車で30分くらいの。
湖畔に車を止めて、あいつの失恋話を延々と聞いてやって、慰めて励まして。
缶コーヒーを飲んで、そのまま車中泊さ。
明け方に目を覚まして、あいつを送り届けて、そして帰ってきたという訳。


「ではお前、あまり寝ていないのだな」
「大丈夫。買い物に行かなきゃいけないだろう?ジョゼフィーヌ様の誕生日の」
「あ、ああそうだな。いや、それは今日でなくてよい。それよりも私はその『白鳥の湖』に行きたい」
「え!?白鳥の湖に?」
「ここから30分くらいなのだろう?私も小学校の遠足以来だ。出発は昼食後だ。それまでお前は仮眠などして待機しろ」
「わ、わかった」


危うく大馬鹿野郎になりかけた私。
だが、一番大切なものに気づくことができた私は幸せ者だ。
人生は自分で選び取る。
運命は自分で切り拓く。
大切なものは自分で守る。
欲しいものは自分で手に入れる。

さあ、二人の休日はこれからだ。



Fin



2017/12/30初出

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