星の涙 星の門

その日、私は居間に二人の客人を迎えていた。
一人は、古きよき友、フィリップ。
もう一人は、あの男。

一体なぜこの三人なのか。三者三様にそう思っているに違いない。
毎年恒例の、士官学校時代の同窓会。今年はその幹事に私たち三人がくじ引きで選ばれてしまったのだ。
穏やかで優しいフィリップは、私とあの男の間に立って、内心困惑していることだろう。
フィリップと私は、互いに親しく名を呼び合う仲だった。しかしフィリップとあの男は、さほど親しくはない。そしてあの男と私とは、昔から、どうにもこうにもそりが合わなかった。
王家への忠誠心も、軍人としての資質も、文句のつけどころがないというのに、その存在が許し難い。
それは先方も同じこと、学生時代から何かにつけて私を目の敵にしていたあの男は、今もなお、末娘を嫡子として育てている私を事あるごとに揶揄し、あげつらう。

しかし今日の打ち合わせは思いのほかスムーズに進んだ。
私の私室がよほど居心地が悪いのか、いつもならむやみに私と意見を対立させるあの男は、私とフィリップの会話にさほど口を挟まず、ティーカップを手に窓辺に立ち外を眺めている。
と、ふいにあの男が問うてきた。

「おい、あの小僧は誰だ?」

小僧?
私とフィリップも立ち上がって窓の外をのぞきこむ。
中庭では私の『息子』が、剣の手合わせをしていた。

「私の『息子』だ」
私が答えると、彼は冷笑するように言った。
「貴殿の『ご子息』はよ〜く存じ上げておる。私が尋ねているのは『ご子息』にボコボコにされているあの黒髪の小僧だ」

「・・・使用人の子だ」
正確には使用人の孫であり、先日親を亡くしたため祖母である我が家の乳母に引き取られてきたのだが、この男にそんな詳細を説明するのは疎ましかった。

「足さばきも何も、なっちゃいない。何も教えられぬまま剣を持たされているのだな。貴殿の『ご子息』は剣の腕はともかく、師範としての資質はないものと見える」
男はいちいち癇に障る事を言う。
「反射神経は悪くないぞ。よくかわしているではないか。レニエ、一度君が足さばきを基礎から教えてやりたまえよ」
心優しいフィリップがフォローするにもかかわらず。
「どうせ使用人の子だ。馬丁にでもするのだろう、剣術など教えるにあたわん」

むかっ。
使用人といえど、ばあやは身内同然。その身内を見下すような言い方はされたくはない。特にこの男には。

「しかし、もし御者にするなら護身のため剣術くらい心得ておいてもいいのではないか?」

二人は私の心中を知ってか知らずか、黒髪の少年について論評を始めた。

「いや、あの小僧はダメだ。『ご子息』がスキを見せても、攻めようともしない」
「主家の子供に対して、遠慮があるのではないか?」
「闘争心というものがないのだ。われわれ軍人からすれば、理解不能だが」
「あるいは『騎士道精神』に富んだ者かもしれぬよ」
フィリップも、私が娘を『息子』としていることに、内心呆れているのだろうか。
「女相手に、本気は出せぬということか、はっはっは」
「武力に長けずとも、大切なものを守るために命をかける男はいるものだよ、ブイエ君」

・・・と、『息子』が剣を放り出し、少年に向かって何かを言い放ち、少年の頬を殴りつけた。
「おっ?」
私たちが注視しているとも知らず、少年は何かを叫び返す。
「小僧、口答えしているぞ、貴族に対する敬意を持ち合わせているわけではなさそうだ」
『息子』は剣を手に走り去り、それをぼんやりと見送った少年も剣を拾い上げてのろのろと立ち去った。

私たちも席に戻った。
あの男は面白そうな顔をしている。
「貴殿も大変だな。『ご子息』の教育に加え、あの小僧に貴族に対する礼儀を叩き込んでやらなければならぬとは」
あの少年は、貴殿なんぞよりよほど私に対する礼儀をわきまえている。
そう言ってやりたかったが、ここで私たちがつまらぬ口論を始めればフィリップも困惑するだろう。
せっかく今日はここまで穏やかに事が進んでいるのだ。早々にこの打ち合わせを済ませ、この男にはお引き取り願いたい。
私は男の売り言葉を無視し、事務的な会話に専念することにした。




客人たちを見送った私は、ふと思いついて館の裏手、厩舎へと向かった。
厩舎の入口に、小さな人影がある。黒い髪の少年が、戸口に立ち、両手を後ろに組んで馬たちを見つめていた。
少年は私に気づくと慌てたように、ぎこちなくお辞儀をした。その目が、頬が赤い。

「誰もいないのか?」
「はい、ジャンさんは今さっき、これからお昼を食べるって・・・、それで僕、じゃなくてワタクシには、馬が驚くから厩舎には入るなって・・・」
「馬が見たかったら、私についてくるがいい。ただし馬には触るな」
「はいっ」
少年は嬉しそうに笑った。

少年に、『息子』の遊び相手を命じたのは、深い考えがあってのことではない。
親を亡くしたばかりの気の毒な少年、自分たちの末子とさほど年の変わらない少年に、教育も受けさせず就労させるなど、私も妻も気乗りがしなかった。
平民ではあっても、その暮らしむきは決して貧しいものではなかったという。少年の親は、少年にきちんとした身なりをさせ、靴を履かせ、学校に通わせていた。
お屋敷に置いていただくからには何かお役目を、と頑強に主張するばあやを納得させるため、ではオスカルの遊び相手を、と妻が提案した。
突然に親を失い、友と別れ故郷を去らなければならなくなった少年。
悲しみが癒えるまで、しばらくはオスカルと子供同士遊ばせ、読み書きを学ばせましょう、と。
その後、屋敷の中で徐々に仕事を手伝わせればいい。本人の希望と適性によっては、他所へ奉公に出るもよし、あるいは出来がいいようならば上級の学校に進ませてやってもよいかもしれぬ。
漠然と、そんなことを考えていた。

私の背後について歩く少年は、瞳を輝かせて馬を見つめている。
「馬は好きか?」
「はい!」

『馬丁にでも・・・』、『御者に・・・』、先刻の客人の言葉が、若干の不快感とともによみがえった。

「しかし、剣の手合わせは好きではないようだな」
「・・・はい」

少年はうつむいてしまった。

「その頬は、オスカルに殴られたのだろう?」
「・・・はい、ワタクシが、真面目にやらないから、って言っ、・・・おっしゃって・・・」
「それでお前はなんと言い返したのだ?」
少年は、ハッとしたように私を見つめた。私が一部始終を見ていたことに、今気づいたのだろう。
「え・・・っと、ワタクシは、・・・気に入らないからって殴るのはよくない、人間には口があるんだから口で言えばいいだろう、って・・・申し上げました」
私は思わず微笑みそうになるのをこらえた。
「で、オスカルは何と?」
「『お前は口で言ってもわからないから殴るんだ』って、おっしゃいました」
今度は本当に笑ってしまった。
少年はむきになった。
「でも、暴力はダメです。僕は父さんから・・・、じゃなくてワタクシはチチから教わりました。争い事を解決するために、神様は人間だけに、知恵と言葉を下さったんだ、って」
「・・・」

少年の父は、少年の母に先だって亡くなったと聞く。しかし私は不謹慎にも、早世した少年の父に一抹の羨ましさを感じた。父の言葉は少年の内にこんなにも根を張っている。

「他に、父上から教わったことはあるか?」
少年はじっとわたしを見つめて答えた。
「はい、えっと・・・、女の人を大切にしなさいって。女の人は男より弱いし、・・・時々、病気じゃなくても血が出ることがあるし、・・・だから、守ってあげなきゃいけない・・・って言われました」
「・・・」

少年は亡き父の教えを守り、それ故に我が『息子』との手合いで敢えて攻められるがままになっていたのだ。

先刻のフィリップの言葉が思い出される。
「大切なものを守るため命をかける男」
少年の父上は、きっとそんな男だったのではないか。
たとえ暴力を否定していても、愛する妻子を守るためであれば、武器を手にしたことだろう。

私は一瞬でも少年の亡き父上を羨んだことを恥じた。父上はどんなにか無念だったろう。
こんなにも素直で聡い少年を残し、その成長を見届けることなく逝かねばならなかったのだ。
もっとこの少年に教えたいことがあったろう。仕事の話、恋の話、伝えたいことがあったろうに。

「いてっっっ・・・!」
突然少年が声を上げた。
思いを巡らせていた私が目をそらした間に、少年が一頭の馬の鼻先に手を出したらしい。
「噛まれたのか?馬の口先に不用意に手を出すな。餌を持っていると思われる」
「は、はい。すみません」
少年は痛そうに指先をさすりながら答えた。
「・・・出血はしていないな。後でばあやに消毒してもらうとよい」
「いえ、大丈夫です。掠っただけです。これくらい舐めときゃ治ります」

さすがに平民の子だ。存外にたくましい。
私は頬を緩めた。
一方の馬の方は、何事もなかったような顔をしている。
「・・・馬は、人を噛んでも済まなかった、悪かったなどとは思わない。噛まれた人間が痛い思いをしたことがわからないのだから。・・・他人の痛みを想像する力を、神様は人間だけに下さったのだよ」
少年は、黒い瞳を見開いて、私をじっと見た。
私の言葉は、少年の心に響いただろうか?

私はさらに言葉を選んで続けた。
「神様は、人間だけに言葉を下さった。しかし覚えておきなさい。言葉は時として、鋭利な刃物以上に人の心を傷つける。人の心から流れる血は、他人からは見えない。その傷が癒えたのか膿んでいるのか、他人からは分からない」
「・・・」
「確かにむやみに暴力をふるうことは良くないことだ。しかし体と体が触れ合うことで、気持ちが伝わることもある。殴られた方は痛いが、殴った方も痛い、こともあるのだぞ」
私がそう言って笑うと、少年もつられて少し笑った。


「お前は歴史を勉強したことがあるか?」
「・・・いえ、ありません」
「ならば今度、オスカルと共に講義を受けるとよい。人の歴史は戦争の歴史だ。この世から戦争がなくなったことはない。残念なことに人は、言葉だけでは争いごとを解決できないのだよ」
「・・・」
「暴力は確かに良いことではない。だが、大切なものを守るためには武器を取らねばならないことがある。そのために、我が家のように戦争を生業とする家があるのだ。ジャルジェ家は、王家を、このフランスの国土を守るために、戦わなくてはならぬ。オスカルは確かに女の子だ。しかしジャルジェ家を継ぐため、どんな男より強くならなければいけないのだ」

少年はじっと考え込んでいる。

「・・・あそこに栗毛の馬がいるだろう。鼻に白い斑のある」
私は、鼻梁に白い水滴形の斑のある馬を指差した。
「はい」
「名はスター・ティアという」
「すたーてぃあ?」
「イングランドの言葉で、星の涙という意味だ」
「星の、涙・・・」
涙という言葉に、少年は眉を曇らせた。
「オスカルのために取り寄せた馬だ。名前に似合わず、調子のいい奴なのだぞ。来月からオスカルは正式に乗馬の稽古を始める。お前も一緒に稽古するがいい」
「え?・・・ワタクシが、ですか?」
「お前にはこの馬を使わせてやろう」
私は先ほど少年を噛んだ馬を指差した。
「スター・ゲイト、『星の門』という意味の名だ。少々食い意地は張っているが、大人しく御しやすい奴だ」
少年は頬を紅潮させ、スター・ゲイトを見つめている。
「馬は本来群れで暮らす動物なのでな、複数頭で稽古した方が、動かしやすいのだ」
「・・・はいっ」

この少年。豊かな感性と素直な心を持つ、明るく聡い少年。たとえ平民であってもこの少年はオスカルに、いい影響を及ぼしてくれるだろう。

・・・ふと、子供のころの思い出がよみがえった。
庭師の子供たちが指笛を吹いて遊んでいるのが羨ましく、自分も練習しようとして、養育係だった爺やに止められた。
『坊ちゃま、平民の真似などなさるものではありません』
本当はあの子供たちと遊びたかった。指笛を吹き鳴らし、庭を駆け回りたかった。

「お前は、指笛を吹けるか?」
「え?あ、はい」
早速口に二本の指を入れようとする少年を私は慌てて止めた。
「ここではいかん、馬が驚く」
少年が急いで手をひっこめつつ、服の裾で指をぬぐっていたのは、見なかったことにした。
「指笛を、オスカルに教えてやってくれ」


少年は馬丁になるかも知れぬ。御者になるかも知れぬ。
軍人には・・・ならないかも知れぬが。
しかしこの少年に、我が『息子』と共に教育を受けさせてみようと思う。
ひょっとしたら、大切なものを守るため命をかける男になるかもしれない、この少年の成長を、少年の父に代わって見届けたい、私は心底そう願うのだ。



Fin



2009/10/26 初出

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