小犬たちのエチュード

母さんが死んで、僕は貴族のお屋敷で働くおばあちゃんと一緒に住むことになった。
おばあちゃんは僕にお屋敷の仕事を手伝えと言ったけど、奥様は「あなたのお仕事はオスカルと一緒に遊ぶことよ」とおっしゃった。
オスカルはお屋敷のお嬢様の中で1番下の妹で、僕より1つ年下だけど、なんだか男の子みたいで、僕よりずっと強い。
最初の頃は、オスカルの剣の稽古の相手をさせられたけど、僕があんまりへたくそなので、それはやめることにした。
それで今は「戦いごっこ」の遊びと、ピアノの練習を一緒にやっている。 戦いごっこなら、オスカルが「ベルレンジャー」のベルレッドで僕が悪者役、僕がわざと負ければいいので楽だ。

その日は土曜日で、雨が降っていた。
晴れていれば、オスカルと外でいつもの戦いごっこをするんだけど、今日はできない。
だから今日はお屋敷の子供部屋で遊ぶことにした。

お屋敷には、オスカルのお姉さまが5人いる。休みの日にはみんなこの部屋でおしゃべりしたり本を読んだり遊んだりなさっている。僕はオスカルと一緒ならこの部屋に入っていいことになっていて、この部屋にあるおもちゃも本も、自由に使っていいと言われている。
この部屋にあるおもちゃや本は、古いものが多い。
だんな様や奥様が使っていた、というものもあるし、親戚からもらったものもあるとオスカルが言っていた。

おばあちゃんが言うには、由緒ある貴族はお金があるからって新しい高いおもちゃをたくさん買ったりはしないんだって。
古いものを大切に使うのが、本当に上品なことなんだって。
本当はオスカルはベルレンジャーの変身ベルトを欲しがっているけど、いま子供に人気のあるようなおもちゃは、このお屋敷にはない。
それに、子供部屋で遊ぶ時はうるさくするとお姉さまたちに怒られるので、戦いごっこはできない。
僕たちは、ブロックでベルレンジャーの基地作りをすることにした。

遊んでいると、奥様と執事のエドアールさんが入ってきた。
二人ともニコニコなさっていて、エドアールさんは段ボール箱を持っている。
「伯父さまのところから、荷物が届きましたよ」
お姉さまたちも、僕たちも、箱の周りに集まった。
箱を開けると、絵本が何冊も入っている。 オスカルの伯父さまの家で、子供が大きくなってもう読まなくなった本だそうだ。
どれも、オスカルや僕くらいの小さい子のものだったけど、大きいお姉さまたちも嬉しそうに本を取りだし、眺めている。

奥様は、
「ではみんな、本を読み終わったら自分たちで棚に片付けるのですよ」
そうおっしゃって、エドアールさんと一緒に子供部屋を出て行った。

僕は、1冊の絵本の表紙を見て、どうしてもそれが読みたくなってしまった。
かわいい小犬が、お座りしてこっちを見ている絵だ。
ジョゼフィーヌ様が言った。
「あ、私それ読んだことある。学校の図書室にあるわ」
「僕、これを読みたいんだけど、・・・」
オスカルも、1冊の絵本を手に取っていた。
「うん、僕もこれを読む。読み終わったら、ブロックの続きをやるぞ」
そう言ってオスカルは、窓際の椅子に座って絵本を読み始めた。
僕もオスカルの隣に座って、小犬の本を広げた。

ある女の人が、小さな犬を飼っていました。
女の人は他にも犬を何匹か飼っていましたが、その小犬のことは特別に大好きだったのです。 小犬も女の人のことが大好きで、二人はとても仲良しでした。
ところが、小犬は病気になって死んでしまいます。 女の人はとても悲しみました。

え・・・?死んでしまうんだ。
僕はとても悲しい気もちになった。

小犬は天国の門にやってきます。 死んだ者は皆、この門に入らなければなりません。そして天国で長い時をすごしたのち、生まれ変わるのです。
でも小犬は門番に言いました。
「僕は、今すぐ家に帰りたいんです」
だって、あの女の人が待っているに違いないからです。
困った門番は、偉い天使様と相談しました。 そして天使様は、特別に小犬を家に帰らせてくれることにしたのです。
でも帰るためには、とても暗くて長い道を一人で歩き続けなければなりません。 小犬は怖かったけれど、女の人に会うために、勇気を出して歩きはじめました。

僕は、自分が真っ暗な長い道に立っているような気がした。
ここを一人で歩かなくちゃいけないんだ。
怖くて、ドキドキしてきた。

一方、女の人も、小犬がきっと生まれ変わって自分のところにやってくるに違いないと信じていました。
女の人は、小犬と同じ種類の犬を飼っている人を、電話帳で調べました。
あちこちに電話をかけ、自分の小犬が死んだ後に交配して、今お腹に赤ちゃんのいる犬がいないかどうか尋ねましたが、そんな犬はなかなか見つかりませんでした。
小犬が死んで2ヶ月あまり経ちました。 きっとあの小犬はもうどこかで生まれ変わっているはずです。女の人は諦めずに電話をしました。
するとある人が、ある家で生まれた子犬のことを教えてくれました。 女の人は、その家に車を走らせました。

寝そべっている母犬のまわりには3匹の赤ちゃん犬がいます。
女の人はその中の1匹を見ました。 あの小犬と同じ色です。「この子かしら」と女の人は思いました。
赤ちゃん犬も女の人を見ました。 「僕はこの女の人を知っている」、赤ちゃん犬は思いました。
女の人はその赤ちゃん犬に手を伸ばし、抱き寄せました。 そして、ずっと心の中で呼んでいた小犬の名を呼び掛けたのでした。

ああ、よかったぁ。
二人は出会えたんだ。
本当に良かった。
・・・でも・・・。

「あら、アンドレ、どうしたの?」
カトリーヌお姉さまがびっくりしたように声をあげた。
僕は自分でも気付かないうちに、ぽろぽろと涙を流してと泣いていた。

なんだか、母さんを思い出してしまったんだ。
母さんに会いたい。
赤ちゃんになって、また母さんに抱っこしてもらいたい。
抱っこしてもらって、「私のアンドレ、可愛いアンドレ」って、名前を呼んでもらいたい。
そんなふうに思って、涙が止まらなくなってしまった。

お姉さまたちが、僕の周りに集まってきた。
「このご本、悲しいお話だったの?」
「あら、ハッピーエンドのはずよ。死んだ小犬が生まれ変わって飼い主とめぐり合うの」
「ではお話に感動したのかしら。アンドレは、感受性が強いのね」
みんな、かわるがわる僕の頭や背中を優しく撫でてくれる。
でも違うんです。僕は母さんに・・・。

一番年上のマリー・アンヌお姉さまが、僕の前に屈んで優しく話しかけて下さった。
「アンドレはこんなに小さいのに、辛い思いをたくさんしてきたんですもの。きっとお話に感動して、今まで我慢してた涙がいっぺんに出てきてしまったのよね」

そうかもしれません。ごめんなさい、お姉さまたち。
心配掛けて、ごめんなさい。
心の中ではそう思っても、涙はなかなか止まらない。

その時、おばあちゃんの声がした。
「さあ、お嬢様方、おやつですよ。・・・あらまあ、どうしたんでございますか?」
お姉さまたちが、口々に説明する。
「ばあや、アンドレがね・・・」
「ご本を読んだら、お母様のことを思い出してしまったみたいで・・・」
「悲しくなってしまったみたいなの」
「おやつは自分たちでやるわ。ばあやはアンドレを慰めてあげて」

ぼくはちょっとドキッとした。お嬢様たちの前でメソメソ泣くなんて、とおばあちゃんに怒られるかも、と思ったのだ。
でもおばあちゃんは、僕をギュッと抱っこしてくれた。
「ほらほら、元気をお出し。オスカル様も心配していらっしゃるよ」

顔を上げると、ばあやの隣でオスカルがじっと僕を見つめている。
また、泣き虫で弱虫な奴と思われちゃったかな。
僕は服の袖で顔をゴシゴシと拭いた。

「さあ、オスカル様と一緒におやつをおあがり」
「・・・うん、食べる」
子供部屋の真ん中のテーブルには、もうお姉さま方みんなが席について、飲み物とお菓子を分け合っている。
「オスカルとアンドレもいらっしゃいな。美味しいクッキーよ」
「飲み物はお茶じゃなくてオレンジジュースがいいんでしょ?」
「ほら、ふたりとも、こっちに座って」
オスカルは黙って僕の手を引っ張って行き、僕たちはお姉さまが空けてくれた席に並んで座った。

僕たちは黙ったまま、オレンジジュースを飲みクッキーを食べる。クッキーは焼き立てで、まだ少し暖かかった。
僕が泣いている間ずっと、オスカルは僕のこと、見ていたのかな。
泣き虫だなと思っていたのかな、それとも少しは心配してくれていたのかな。

お姉さまたちは、僕が読んでいた本をかわるがわる眺めている。
「可愛い絵ね。私も読んでみよう」
「じゃあ、私も。薄いからすぐ読み終わるわね」

オスカルは小声で僕に尋ねてきた。
「アンドレ、あのご本、感動的だった?」
『かんどうてき』なんて、さすがオスカルは難しい言葉を知ってるなあ、そう思いながら僕は答えた。
「うん。いいお話だよ。感動的だった」

クロティルドお姉さまが
「あら、オスカルも読みたい?だったらどうぞ」
そう言って本を差し出そうとしたけど、オスカルは
「いえ、僕は今日の夜、寝る前にベッドで読みます。お姉さまお先にどうぞ」
「そう、じゃあ私たちがお先に読ませていただくわね」

オスカルはあの本を読んでどう思うだろう?

オスカルはクッキーを食べながら言った。
「これを食べたら、ブロックの続きをやるぞ」
「うん」


次の日、僕はオスカルに会うと尋ねた。
「あの本、読んだ?」
「うん、読んだ」
「面白かった?」
「うん、・・・まあな」
オスカルはぶっきらぼうに答えた。
僕は言った。
「・・・最後にさ、犬と女の人が会えてよかったよね。僕、あそこが一番よかったなあ、って思ったよ」
するとオスカルはちょっと考えながら言った。
「小犬も女の人も、お互いに出会えるように、すごく頑張ってた。二人とも頑張ったから出会えたのだと思う」

・・・そうか、二人とも頑張ったから・・・。
僕はびっくりした。僕はそんなこと考えつきもしなかった。
小犬は暗くて長い道を一生懸命歩いた。女の人は一生懸命調べてたくさん電話をかけた。
きっとオスカルは自分が頑張り屋だから、二人が頑張ったことがわかったんだ。
やっぱりオスカルはすごいや。僕より年下なのに、やっぱりすごい。

そしてオスカルは、ちょっと恥ずかしそうに笑った。
「それで、・・・僕も泣いた。最後のところを読んで、二人が出会えて、涙が出た」
「感動的だった?」
「うん。感動的だった」

僕は嬉しくなった。
僕が感動的だと思った本を、オスカルも感動的と言ってくれたのが、とても嬉しかった。
オスカルは元気に言った。
「今日はいい天気だ。外でベルレンジャーごっこをするぞ」
「うん」
「僕はベルレッド、お前はベルブルーだ」
「え?僕もベルレンジャーの仲間になるの?」
「そうだ」
「じゃあ、誰が悪者になるの?」
「それをこれから二人で探しに行くのだ。二人で悪者と戦いに行くぞ!」
「ラ、ラジャー!・・・あ、待ってよオスカル!」

僕もベルレンジャーになるのなら、オスカルくらい強くならなきゃいけないかな。
それじゃなかったら、悪者が弱い奴だといいんだけど。
僕はそう考えながら、オスカルの後を走って行った。


Fin





2011/04/26 初出

アンドレが読んだ絵本は、イギリスの作家ローズマリー・サトクリフの「小犬のピピン」です。ただし記憶ベースで書きましたので、ストーリーの細部は間違っているかも知れません。以前アンドレを犬、オスカル様を飼い主にした話を書いたので、生まれ変わって飼い主とめぐり合うという展開に惹かれたのですが、お母さんを亡くしたばかりのアンドレなら違う読み方をするだろうなと考えてみました。
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