お前を見つけた日 Side A

その日、俺は有給休暇を取得していた。
本来なら、年に一回開催される陸軍各部隊による報告会。
従卒として隊長に付き従い、出席しているはずだった。

あの日、屋敷の車寄せに紺色のドイツ車が停まっていた日。
「結婚・・・!?」
その言葉に、お前は俺を振り返った。
思わず顔を見合わせた。
次の瞬間、俺は彼女に背を向け、走り出していた。

結婚・・・?
お前は家のために愛のない結婚などしない、決して。
だが、・・・だが、もしお前があの男を愛するようになったら・・・?

あり得ないことではない。
そのことに気付いた瞬間、俺の心は凍りついた。



朝になれば、目が覚める。
機械的に身じたくを整え、空腹を感じれば食事をする。
職場に向かい、必要な仕事をこなし、必要でない仕事も引き受け、とにかくひたすらに働く。
時には夜勤も続けて引き受ける。
仕事が済めば帰宅して、さらに屋敷の仕事も引き受ける。
夜が更ければ就寝する。
朝になれば、また目が覚める。
そして思う、ああ、まだ俺、生きてるのか。

機械のように仕事をしながらも俺の心はどこか鋭敏で、お前の姿を徹底的に避けていた。
お前のスケジュールも行動も、全て頭に入っている。
執務も教練も、お前と入れ違いになるように、お前と顔を合わさず済むように、俺は無意識の内に巧妙に行動していた。

ひょっとして、お前があの男を愛し始めているかも知れない、・・・そんなお前を見たくないがために。


あの夜、ベッドサイドの内線電話が鳴った。
「もしもし」
「・・・あ、・・・私だ」
久しぶりに聞く、お前の声。
だが、俺の心は自分でも驚くほど平静だった。
「何か用でも?」
「腹が空いた」

いきなり俺の部屋に押しかけ、空腹だからファミレスに連れて行けと言う。
お嬢様の気まぐれな我儘だ。
そしてその我儘をかなえるのは俺の仕事。
俺はお前を助手席に乗せ、機械的に車を走らせた。

ファミレスで、お前はよく食べ、よく飲んだ。
時折、もの問いたげに俺を見る。
だが、今の俺には、お前と話すことなど何もない。
十分飲み食いしたならば、お前を連れて屋敷に戻らねば。
それが今の俺の仕事なのだから。


その日、年に一度の陸軍各部隊による報告会には、あの男も出席するのだと気付いた時、俺は有給休暇の申請書を手にしていた。
仕事とはいえ、お前とあの男が同席する場面には居合わせたくない。
そんな子供じみた感情に蓋をし、俺最近よく働いたし、屋敷の買い物もしなきゃならないし、と理由を頭の中であれこれでっち上げる。
私用のため、と理由を書いた申請書は、隊長のデスクのトレーに乗せた翌日、承認のサインをされて処理済みのトレーに乗せられていた。

俺の作成したプレゼンの資料も質疑応答の想定集も完璧なら、お前のプレゼン能力も最高。
プレゼンにはお前一人で出席しても、何ら問題ない。
そう、お前一人で十分なのだ、俺など、いなくても。



その日、執事のエドアールさんは取引銀行と打合せ、奥様はおばあちゃんをお供に親戚筋との食事会。
それらの外出を見送った後、メイドたちに留守を頼むと俺は自分の車で外出した。

久しぶりにホームセンターでも見て回ろう。
そろそろ冬支度をする時期、庭園の手入れ用品や屋敷のメンテナンス用品、目新しい品があるかもしれない。

慣れ親しんだベルサイユの街中、交通量はさほど多くない。
前の交差点の赤信号を見て俺はブレーキを踏んだ。
車を停車させながらふと見たバックミラーには、後続の車の姿がうつる。
減速することなく、ミラーの中で徐々に大きくなっていく車の姿。

やばい。

そう思った次の瞬間、後頭部と背中に、鉄板を打ちつけられたような激しい衝撃を感じた。









あ、俺、まだ生きてるんだ。

後ろの車を運転していたのは、若い男だった。
車のボディには、大手メーカーの関連会社の名前。
どうやら営業周りをしているところらしい。

「あ、あのっ・・・、お、お怪我はありませんか?」
「とりあえず、外傷はない」
「信号がもう青になりそうだったので、・・・止まらず行けるかと・・・」
「まだ赤だったよ、俺は止まってた」
「・・・」

俺の車の後部は、ひしゃげてはいるが走るのには問題なさそうだ。
車を路肩に移動し、警察に電話をし、相手の男から名刺をもらって連絡先を交換し。
仕事柄こんなトラブル処理は慣れている。
頭はぼんやりしていたが、俺はテキパキと必要な処理をこなしていった。
バイクでやってきた警官に、俺が自分は赤信号で止まっていたと主張し、相手も異を唱えなかったため、今回の事故は100%、相手のドライバーの過失ということで話がついた。

保険屋にも連絡して、一通り処理が終わると
「じゃあ、俺はこれから病院に行きます」

相手の若い男はすっかりへこんでいるようだ。
人身事故にこそならなかったが、社用車で事故ったのだ。
さぞかし上司に大目玉を食らうことだろう。
俺は若い男がちょっと気の毒になった。
俺はポケットから、常時持ち歩いている飴玉を出すと
「ほら、これでも食べて、元気出せよ」
「い、いえそんな、・・・ありがとうございます」
男は深々と頭を下げた。

この近くに、確かベルサイユ総合病院があったはず。
あそこなら詳しい検査をしてもらえるだろう。
検査結果が分かったら、隊に連絡しよう。


「・・・では、結果が出るまでお座りになって少しお待ちくださいね」
レントゲンを撮り、MRIの検査を済ませ、俺は廊下のソファに座った。

何故俺は生きているんだろう。
あの事故がもっと甚大なもので、この身が粉々になってしまっていればよかったのだろうか?
あるいは、もう何も考えなくてすむよう、何も感じなくてすむよう、永遠に意識が失われていればよかったのだろうか?
でも俺は今、生きている。
生きて、お前のことを考えている。

プレゼンはもう終わったろうか、きっと非の打ちどころのないスピーチだったに違いない。
もう昼食会の時間だ、旧知の将校たちと談笑しながらランチに舌鼓を打っているのだろうか。
ひょっとして、あの男と隣り合わせているかもしれない。
あの男と、目と目を見交わして、笑いあって・・・。

その笑顔を俺に向けてくれ。
その瞳に俺を映してくれ。
俺は生きている。
生きてここにいる。
たとえお前が誰か他の男を愛しても、生きていれば、俺はお前の姿を見ることができる。
生きていれば、いつかは、お前が俺の名を呼ぶのを聞くことができる。
俺は・・・!

「・・・アンドレ!」
「オスカル!?」

懐かしい、愛しい声に、俺は思わず立ち上がった。
お前が、息を切らして走り寄ってくる。

「どうしてここへ?」
「怪我はどうなのだ?」
「報告会はどうした?」
「事故とはどんなだったのだ?警察は呼んだのか?保険屋には連絡したのか?」
「プレゼンは終わったのか?昼食会は?」

お互い質問ばかりで、話がまるでかみ合わない。
思わず顔を見合わせて、吹きだした。

ここはまず俺がお前の質問に答えるべきだろう。
俺たちは廊下のソファに並んで腰かけた。
「今、MRIの首の検査が終わったところだ。この後、また診察して検査結果を見てもらう」
「プレゼンが終わって昼食会の前に携帯の着信に気付いたんだ。ユラン伍長からこの病院にお前が担ぎ込まれたと聞いて、昼食をすっぽかして駆けつけてやったのだぞ」

セシルの奴、気を利かせたつもりで隊に連絡してしまったのだな。
けれどお前が事故の知らせに駆けつけてくれたのかと思うと、申し訳ないとは思いつつ、心の奥が嬉しさにちょっと熱くなる。

「心配かけてすまない。検査と診察が終わってからゆっくり自分で電話するつもりだったんだけど」

俺は事故の顛末と、現時点での怪我の見立てを詳しく説明した。
と、検査室から出てきた看護士の呼ぶ声がした。
「アンドレ・グランディエさ〜ん」
「あ、はい」
立ち上がると、看護士にカルテの束を渡された。
「それではこれを持って2階の整形外科の診察室へ行ってください。受付にこれを出してお待ちになって下さいね」

痛みはそれほど感じているわけではないが、頭がぼんやりとし、身体が重く、ゆっくりとしか歩くことができない。
だが、診察の前に、お前を王宮に帰さなくては。
昼食も取り損ねているのだ。
確か病院の入り口に売店があったはず。

正面玄関に向かう俺に、お前は言った。
「お前、診察室は2階だと」
「お前はもう王宮に戻らないと。今からタクシーで帰れば午後の開会に間に合う。そうだ、昼飯がまだなんじゃないか?あそこの売店で何か買うといい」

すると、お前は心許ない顔で言った。
「すまないが、私は現金の持ち合わせがないのだ。携帯一つ握りしめて走りだしたのだから」
「え?じゃあ、王宮からここまで走ってきたのか?」
王宮からこの病院までの距離はおそらく4〜5キロ程度、走ってこられない距離ではない。
お前は一瞬言い淀んで答えた。
「いや、実はたまたま近くにフェルゼンがいて、・・・事情を知って車で送ってくれたのだ」
「ああ、ハンスが・・・」
俺は思わず笑った。
「ハハハ、じゃあ、車でも時間がかかったろう?」
方向音痴のあいつのことだ。
たとえナビがあったとしても、自信満々に明後日の方角に向かったことだろう。

俺はポケットから財布を出し、紙幣を数枚ぬきだすとお前に持たせた。
「これで昼飯とタクシーは足りるだろう。サンドイッチか何か、買おうか」
なんだかすっかり以前のように、お前の世話をあれこれ焼こうとする俺を、お前は引き留めた。
「いいから、お前は早く診察に行け。昼食もタクシーも自分でできる」
俺の背に、お前の掌がそっと押しあてられた。
「そうか?・・・じゃあ」

あまりお前に心配をかけてもいけないな。
素直に診察室に向かって、安心させてやった方がいい。

階段に向かってゆっくり歩いていると、なんだか鼻がムズムズするのを感じた。
「ハッ・・・クション・・・っっいてっ」
そうか、くしゃみって首の痛みにこんなに響くんだな。

などと考えながら思わず振り返ると、俺を振り返っているお前と目が合った。
「神のご加護を」
笑いながら、お前が言う。
「・・・ありがとう」
笑いながら、首をさすりながら、俺が答える。

ありがとう。
心配してくれて。
ありがとう。
駆けつけてくれて。

俺はすっかり見失っていた。
俺とお前の間には、愛とか恋とかの言葉で修飾される必要のない、もっと深くて強いつながりがあるじゃないか。
俺は何を惑っていたのだろう。
たとえお前が他の男を愛したとしても、たとえ俺の役目が終わったとしても、たとえ二人がこの先、別々の人生を歩むことになったとしても。
それは決して揺るがない。

ありがとう。
俺と笑ってくれて。
ありがとう。
俺の名を呼んでくれて。


この日、俺は、何よりも大切なものを取り戻した。



Fin



2014/2/19初出

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