Angel Blue

「突然で申し訳ございませんが、休暇をいただきたいのです」
もうすぐ夏も終わろうとしている頃、珍しくばあやが改まって申し出た。
「あら、勿論いいですとも。そう言えばジョゼフィーヌが生まれてから、ばあやもろくにお休みしていなかったものね」
「・・・実は娘に子供が生まれまして。退院したら2〜3日、手伝いに行ってやりたいのです」

ばあやの、離れて暮らす一人娘が結婚したのは去年だったか一昨年だったか、そう言えば半年ほど前、子供ができたと聞いたような気がする。
私もジョゼフィーヌや姉娘たちの世話に明け暮れ、すっかり忘れていたけれど。

「まあ、それはおめでとう!それで、男の子?女の子?」
ばあやは顔をほころばせた。
「男の子でございます」

私の胸の中に一瞬、黒いモノが広がる。
男の子・・・、男の子欲しさに次々と5人も子供を産んで、それでも私には授からなかった男の子。

私は、自分への嫌悪感を振り切るように笑顔を浮かべた。
「娘さんは初めての出産なのでしょう?ご主人様の身寄りもないのでしょう?2〜3日なんて言わず、1週間でも10日でも、行っていらっしゃいな」
「いえ、でも奥様・・・」

ばあやに長く不在にされるのは、正直辛い。
他にもメイドたちはいるけれど、娘たちは、ばあやでなければ済まないこともあるのだ。
けれど。
「大丈夫よ、マリー・アンヌもクロティルドも妹たちの面倒を見られるようになってきたし、人手はあるのですから」

私だって、いつまでもばあやに頼り切りじゃいけない。
大変かもしれないけれど、いい機会だわ、母親として頑張ってみましょう。

「それではお言葉に甘えて、お休みさせていただきます」
ばあやは深々と頭を下げた。

そうそう、娘さんに出産祝いも差し上げなくてはね。
私は胸の中に生じた黒いモノの罪滅ぼしをするかのように考えた。
少し前、お気に入りブランドのカタログで見た、夢のように可愛らしいベビー服。
あのベビー服の青いのを贈りましょう。
・・・私が、我が子にはまだ着せたことのない青いベビー服。
胸の中に、また黒いモノが広がりそうになるのを抑え、私は近くにいたメイドの一人にベビー服を注文するよういいつけた。







春。
緑が芽吹き、花が咲き、さわやかな風がそよぐ季節だというのに、私はベッドの中にいる。
娘たちの世話は、ばあややメイドたち、家庭教師にまかせっきり。
起き上がることのできないだるさと、止まらない吐き気。
私のお腹に、6番目の命が宿ったのだ。

年齢的にも体力的にも、そして経済的にも、これ以上は無理。
この子が、我が家の末っ子になることだろう。

今度こそ今度こそ今度こそ。

喜びを持って迎えるべき命だというのに、頭の中で、強迫観念のように思いが巡る。
今度こそ、男の子を産まなければ。
我がジャルジェ家の後継ぎとなる、健康で賢い男の子を。

結婚する時、夫と秘かに約束を交わした。
生まれた子供が男の子なら、夫が名前をつけ、女の子なら私が名前をつける。
5人の娘たちには、全て私が名前をつけた。
夫はまだ、我が子に命名したことがない。

だから、今度こそ今度こそ今度こそ。

夫に、我が子の名前をつけさせてあげたい。
後継ぎとして、剣を教え馬術を教え、息子に教育を授ける父の役割を果たさせてあげたい。

今度こそ今度こそ今度こそ。

一族の、親類たちの、過大な期待。
そして周囲の外野たちの、無責任な好奇心。
また女だったら指をさして哄笑してやろう、と待ち構えている心ない人々。

今度こそ、という思いと、でも確率は2分の1、という思いと。

ぐるぐるとした考えに押しつぶされそうになりながら、私は目を閉じたまま、悶々と寝返りを繰り返した。







初夏。
今までのだるさが嘘のように、私は元気になった。
お腹は少しつづ大きくなり始め、普通の服が着られなくなってきた。
夏休みに入った子供たちの世話に追われ、ともするとお腹の子のことも忘れそうになりながらも、忙しく楽しく過ごす日々。
ある日の午後、大きな子供たちはプールへ行き、小さな子供たちはそろって昼寝をし、久しぶりに一人静かにお茶を飲む私に、ばあやが小さなアルバムを持ってきた。

「私の孫の写真でございます、奥様。誕生の折には可愛いベビー服を頂戴しまして、ろくにお礼もせず、失礼をしておりましたが・・・」
きっとばあやはあれこれと気をまわして、私の具合が良くなるまでアルバムを見せるのを控えていたのだろう。
私は手渡されたアルバムを開いた。
「・・・まあ、なんて可愛いこと・・・!」

小さなアルバムには、誕生したばかりの頃から、少しずつ成長していく男の子の写真が収められている。
そしてそのうち何枚かは、私が贈った青いベビー服を着ている写真だ。

生後間もないただ寝ているだけの姿、目を見開いてじっとカメラを見つめる、少しずつ笑顔が出てくる、うつ伏せになり頭を上げる、おもちゃに手を伸ばす、指をしゃぶる、ハイハイを始め興味のある方向へ動き出す、キラキラとしたやんちゃな黒い瞳、少しずつ伸び始めたクリクリとした黒い巻き毛、そして手をついて立ち上がろうとする、椅子の背をつかみ危なっかしく一歩を踏み出そうとする・・・。

可愛らしい、男の子。
両親の愛を一身に受け、すくすくと育つ男の子。
私には決して生まれることのない、黒い髪、黒い瞳の男の子。
私がまだ間近で目にしたことのない、男の子の成長する姿。
以前に感じた黒い気持ちが嘘のように、可愛い、愛らしい、と心から思う。

「お孫さん、お名前は?」
「アンドレ、・・・アンドレ・グランディエ、でございます」
「そう、娘さんとアンドレ坊やは、ベルサイユへ来ることはないの?是非お目にかかりたいわ」
「いえ、娘はもうすっかり引っこんでしまって、なかなかこちらへは」
「機会があったら遊びにいらっしゃいと伝えてちょうだい。お腹のこの子が生まれたら、きっとアンドレ坊やと一緒に遊べるでしょう」
「はい、ありがとうございます」

お腹のこの子が男の子でも女の子でも、どちらでもいい。
また女の子だっていい。
きっと私も夫も、この子を全身で愛するだろう。
姉娘たちも、この子を競って可愛がるだろう。
祝福されて生を受け、家族に愛されて育つ、それだけで十分。

お腹のこの子が、たとえ女の子でもいい。
6人姉妹の母になれるなんて、素敵なことだわ。

たとえ男の子の子育てを経験できなくっても、私は心の中で、まだ会ったことのない男の子、ジョゼフィーヌより小さくてお腹のこの子より大きいアンドレ坊やの成長を、秘かに楽しみに見守ることにしよう。

そうだわ。
お腹のこの子がたとえ女の子でも、名前は夫につけてもらおう。
きっとこの子が私たちの最後の子、末っ子になるのだから。
そして私は、この子が女の子でも、・・・青いベビー服を着せてみようかしら。



Fin



2012/8/23 初出

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